取り憑かれてこそ、一人前。
職人は、挑戦者でなければ。
鋳造が終わったら、型の中の製品が冷えるのを待ちながら、
すぐにキューポラの解体に取りかかる。
熱の残った状態でなければ、あっという間に中は固まってしまうからだ。
注湯から解体まで、その作業は「テンポが大事」と、菊地さんは言う。
「肉体的にも精神的にもギリギリのところまで追い込まれる、
大変な作業だからこそ、テンポよく、リズミカルにやる。
ギクシャクすると、皆、疲れて顔つきが悪くなりますね。
今は冬だけど、夏場はさらにきつい。
グダグダになって帰ったら、たぶん、家でも嫁さんとケンカでしょう。
炉の前の作業をする人間は、責任重大なんですよ」
東京の美大を卒業後、家業に入った菊地さんは、
これまでに1500 回ほど、こうして燃える水の神秘と対峙してきた。
その正直な実感は、「やってもやっても、謎だらけ」。
だが、ゆえに面白くもある。
「『何でこうなるんだろう?』というときが、
今でもけっこうあって。本当に不思議です。
でも、この作業に取り憑かれるようになって、
ある意味、一人前じゃないのかな。
『お前、目が変だぞ』みたいな状態、若くても年寄りでも、
職人は皆、そうですよ。湯を前にすると、目が爛々としてくる
それは、この地に、その身に流れる血に
脈々と受け継がれてきた宿命であり、本能であるのかもしれない。
記憶にある祖父、父もまた、火を扱う
ものづくりに取り憑かれた人々だった。
「ふたりとも、どこか絵心のある人たちでしたね。
絵でも彫刻でも、何か面白いものを見つけたら
切り抜いてスクラップにしてとっておく。
それらを見て、何かを思いつくと、
じいさまは墨と筆で、親父は鉛筆で
紙にスケッチして、鉄でかたちにしていた。
ガチガチの伝統の世界でやっていた人たちだったのに、
どこか自由で、フレキシブル。挑戦者でしたよ。
こんな環境のところにめでたく生まれたものだから、
この道に入らない理由は、なかったよね」
井戸の中で泳ぐのではなく、大海に出たい。
美大時代、土、ガラス、金属、樹脂と、あらゆる素材に取り組んだのも、
挑戦者のDNAのなせる技だったのだろう。
「表現したいと思うものは、何でもやってきました。
でも、今は、鉄が面白い。
どこでやっても、何をやってても、最終的には、自分自身の問題。
自分がやりたいことがはっきりしていて、夢中になれることがあれば、
あんまりいろんなことに気が散らなくなるんでしょうね」
火の変化。湯のありさま。人の動き。
その目は、常に爛々としている。
耳は、いつでもそばだてられている。
「仕事が少なくなって、鋳造をやる回数が減ると、
皆、逆に元気がなくなっていく。
だから、いい仕事をしているんだなと思いますよ。
何と言うか、男が男でいられる時間だなと。
一日一日、一回一回、やりきった感じで終われる。
それでまた、次を、と」
あっという間に解体されたキューポラ。
砂型が壊され、中から、銀色に輝く鉄瓶の本体が取り出される。
それらに篭った熱が、少しずつ発散されながら、
北国の冬の一日が暮れていく。