色々な人が東屋のモノを使っている現場の記録。

料理は子どもの頃からつくっていましたね。肉や魚が苦手で、自然と母の料理よりも、食べたいものを自分でつくるようになりました。インド風のカレーや出汁からとった麺類、喫茶店でアルバイトをはじめてからは店で出すケーキも焼いたり。
一人暮らしをはじめて、好きな器を揃えたかというと、そんなことは全くなかった。最初に住んだのは四畳一間でしたから、物の置場もなくて、山道具の鍋や薬缶、皿を家でもそのままキッチンに並べて使っていました。
食器のデザインに携わるきっかけは、内装デザインを請け負ったレストランから、店名入りのプレートをつくれないかと相談されたことでした。瀬戸や美濃といった産地の製陶所の電話番号を電話帳で調べて、片っ端から電話をかけて、現地に訪ねて行きましたね。無事に納品できた後で、製陶所から「今は使っていない型があるから、少ロットでいいので好きな柄でオリジナルの器をつくらないか」と声を掛けられたんです。レストラン側もそれなら是非ということで、僕が簡単なデザイン画を描いて渡したのが、最初の食器の仕事でした。
そういう仕事を重ねるうちに、ゼロから器をつくるという機会も出てきました。そうすると、たとえば紅茶のカップ&ソーサーひとつにしても、頭の中になんとなくイメージはあっても、どうしてこういうかたちや意匠になったのか興味がわくし、知らないとつくれないですよね。食器売場に並んでいる器を見ても欲しいと思えるものがなかったし、書物で調べるだけでなく、実際に古い器を探して集めるようになったのは、それからです。
その時々の仕事に必要な器を手に入れ、使い心地を確かめ、資料としてデータを残していく。古いものは元々好きで、小学校高学年の頃から昔の名建築を見に行ったり、中学生時代には1950~60年代のパーツで自転車を組んだりしていましたが、器に関しては意外に遅いんです。
東屋さんのためにデザインした「隅切」は、最初の構想から数えると20年くらいかかってようやく完成したものです。当初は萩で試作をはじめました。
萩焼は毛利輝元の命で渡来した陶工が開窯したのがはじまりで、御用窯として茶道具を製作していました。江戸時代に食器がつくられた事例は少なく、「もし他の窯のようにつくられていたらこんな器があったかもしれないね」と大屋窯の濱中史朗さんと話をして、僕が描いた何十種類かの器のスケッチや、参考になる古い器を預けました。隅切はその中のひとつで、萩の土と磁器の土で試作してもらったものです。
四隅を切った角皿のかたちは淡路焼にもあり、江戸末期ながら、どこか洋風の香りがします。その雰囲気から発想しつつ、現代に合う造形を目指しました。その後、大屋窯では職人が辞めてしまい隅切の製作を続けられなくなったのですが、何とか製品化を実現させたいと願っていました。その後、波佐見焼の窯元で、型打ちの製法で実現することができたのが、この隅切です。
四角一枚でも箸置き兼銘々皿になり、長角は銘々皿にも盛り皿にもなる。使い勝手がいいと思いますね。我が家の食卓は20年ほど前に住んでいた家に合わせてつくったもので、とてもコンパクト。ここで仲間たちと揃って食事しようとなると、隅切のような限られたスペースを上手く使える皿が必要でした。いつも、あったらいいな、こうだったら素敵だな、という発想からはじまるんです。
隅切は、四角と長角の二種類。角皿は日本では昔から使われてきたかたち。
卓上に収まりがよく収納もしやすい。長角は普段は小さい目刺などを、夏には谷中生姜や胡瓜を。
カプレーゼや刺身を盛れば食卓が華やぐ。昼食に巻き寿司やおにぎりを盛ることも。
隅切は、四角と長角の二種類。角皿は日本では昔から使われてきたかたち。卓上に収まりがよく収納もしやすい。長角は普段は小さい目刺などを、夏には谷中生姜や胡瓜を。カプレーゼや刺身を盛れば食卓が華やぐ。昼食に巻き寿司やおにぎりを盛ることも。
猿山家のぬか漬け
〈材料〉
季節の野菜をお好みで。
〈作り方〉
自家製のぬか漬けは、今日は大根、人参、胡瓜、ごぼう。玄米を自宅で精米しており、その生糠を糠床に。糠床には塩以外に山椒の実、唐辛子、昆布、干し椎茸などをその時々に加えている。干し椎茸を入れるのは糠床が水っぽくならないようにするため。「結果的に、戻った干し椎茸も美味しくいただけて、糠床も風味豊かになる。一石二鳥です」
Profile
デザイナー。「ギュメレイアウトスタジオ」主宰。1996年より元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う「さる山」を営み、2019年に閉店。現在はグラフィック、空間、プロダクトまで幅広いジャンルのデザインを手掛けると同時に、演劇音楽の作曲や演奏にも携わっている。東屋の製品のデザインを数多く手掛けるデザイナーでもある。
日付=2026・1・31
写真=馬場わかな
文=成合明子
編集=落合真林子