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製造の現場を巡る④

桶数(長野県木曽郡上松町)

かぐわしい桶を使う喜びを、これからも。
木材の聖地・木曽で、職人の技と心に触れた。

粗鉋、中鉋、上鉋。鉋の刃を調整しながら、桶の外と内を滑らかに。
先代や同業者から受け継いだ道具は、200 種類にも及ぶ。

切る。干す。組む。削る。
かける時間と手間は、惜しみなく。

長野県の南西部、木曽山脈の谷間に開けた木曽郡上松町。
豊かな山林に囲まれた土地にいると、視界からも吸気からも
木々の緑と香りが絶え間なく身に取り込まれる。
ここに暮らす人々は、古くから豊かな山の資源を
加工し、暮らしの糧としてきた。
建材のほか、日常生活に使うありとあらゆる道具を、
その手で生み出してきたのである。

屋号の「桶数」は、先代である父の名・数馬から一字をもらって命名。
江戸の伝統製法を木曽の地に伝えて、70 年以上になる。

町の動脈となっている中山道、現国道19 号から少し上った
丘の上にある「桶数」も、そうした職人の工房のひとつ。
屋号が示すとおり、ここで作られているのは、
木曽産の材料を使った、大小さまざまな木桶だ。
お櫃(ひつ)や飯台、寿司桶など、食にまつわるもの。
湯桶や花桶、たらいなど、暮らしまわりで使うもの。
風呂桶から、味噌蔵や醤油蔵で使用する醸造桶など大型のものまで、
日本の暮らしに深く根ざし、馴染んだ道具を
昔も今も生み出しつづけている。

工房の軒先にうず高く積み重ねられた桶のパーツ。
白木が鼠色に変色する頃には、含水率 10 パーセント以下になるという。

製材した板を円形に組み、接合し、
削って形を整え、箍(たが)で締めて底板を嵌める。
形は異なっても、桶の作り方の基本は同じだが、
どの工程にも、恐ろしく時間と手間がかかる。
まず、材料となる木材の下準備。
ヒノキ、サワラ、コウヤマキ、アスナロ、ネズコ。
木曽五木(ごぼく)と呼ばれる木々から、用途に応じて選び、
桶の寸法に合わせて板を切り出し、天日干しする。
雨に打たれるのも、計算済み。雨は、木に含まれる
灰汁や余分な油分などを洗い流してくれるからだ。
切って、干す。これだけに、ざっと1年から2年の時を要する。

桶の外周を測る定規となる、竹製の「回し竹」。
道具は既成のものだけでなく、職人が自ら作ることが多い。

すっかり乾いて鼠色に変色した板。
まるで炭のようにカラカラだが、表面を削ると、
切りたてのように美しい、無垢の木肌が現れる。
それに丁寧に竹釘を打ち、接着用の糊をつけて貼り合わせ、
仮の箍を嵌めて整形し、表面を削っていく。
削る前には、道具の手入れも欠かせない。
曲面を削る桶職人の鉋(かんな)の刃は、まっすぐではなく湾曲している。
それを、やはり湾曲した砥石で丁寧に研いでいく。

丸刃の鉋を研ぐには、削って湾曲させた砥石を。
古い刃物類の中には、名刀を打つ刀鍛冶が作ったものもあるとか。

飯台や寿司桶程度の大きさの桶を削るとき、
職人は板張りの床に座り、円形の桶の枠に
足の指をかけて、回しながら削っていく。
「指回し」と呼ばれる伝統的な技法である。
「やれ、何年かぶりだし、できるかね」
そう言って作業場に腰を下ろしたのは、伊藤今朝雄さん。
上松町に生まれ育ち、初代の父を師匠に桶作りを続けてきた
「桶数」当代主人は、昨年、「現代の名工」のひとりに選ばれた。

伊藤今朝雄さん。平成 30 年度「現代の名工」の選評には
「製品を通じた情報発信にも積極的に努め業界の発展に貢献」とある。

木と、時代に呼吸を合わせて
まだ見ぬ桶を作り出す喜び。

桶が回る。研ぎたての鉋が、その表面を滑る。
木屑から、香ばしい木の香りが立つ。
山から生まれた木に、新しい命が吹き込まれる瞬間。
あっという間に、桶の肌が整えられる。
しかし、これはまだ粗削りで、外側、内側、
箍と底板を嵌めてからの仕上げと、削りを重ねていく。
かえすがえすも、恐ろしいほどの手間と時間が費やされる。
材料である木が長い年月をかけて育っていくのだから、
それを使用し、ものを生み出す側も、
相応の時間を覚悟しなければならない、ということか。
製材時など、特別なときを除いては、機械音のしない静かな工房に、
桶が回る音と鉋の音だけが、粛々と流れる。
「人間が呼吸するように、木も呼吸してるから。
同じことをしているもの同士が、息を合わせてるんだね」

指先だけでなく、腕、足、足指など、全身を使っての作業。
底板を嵌める際などに相当な力をかけるため、作業場の床は補強されている。

「桶数」初代の伊藤数馬さんは、千葉県出身。
東京・深川で江戸流の桶作りを習得した明治生まれの職人は、
戦時中、不足した材料を求めて木曽へ移り住んだ。
お櫃や飯台など、日用品を得意とした数馬さんの
ものづくりの天性は、息子である今朝雄さんにも受け継がれていた。
「中学校のとき、手先の器用さをみる検査があるんだわね。
俺はどうやら飛び抜けて器用だったみたいで、
歯科技工士にならんかと言われて、学校に行く予定まで組んでいた。
でも、やっぱり桶のほうがいいかなと。
お袋は勉強していい会社に入って安定して、と言ってたけど、
兄弟がふたりいると、どうしても逸れる人間がおるもんでね。
まあ、カエルの子はカエルだよ、って」

お櫃や飯台にはサワラ。湯桶にはヒノキ。風呂桶には断然コウヤマキだ、と今朝雄さん。
「削っていてもまるで赤ちゃんの肌に触っとるようだし、香りもいいね」

20代から工房の主力になり、桶作りに励む日々。
ちょうど時代は、日用品が木製からプラスチック製へと変貌していく時期だった。
職人が次々リタイア、あるいは廃業していく中で、
はからずも、今朝雄さんは先人たちから「遺産」を引き継ぐ立場になる。
まずは、道具。廃業した先から、桶作りに使う銑(せん)、鉋などが
次々と「桶数」の工房にもたらされた。
そして、家庭用品に限らない、さまざまな桶の注文が
今朝雄さんのもとに届き始める。
日本酒の蔵元が神事に使う特殊な桶。
養殖業者が真珠を洗うための、モーターつきの桶。
茶道の流派特注の、茶器洗い用の桶。直径2メートルを超える巨大な味噌樽。
もともとは、それぞれの地域で専門の職人が作っていた桶である。
職人の減少と技術の途絶の危機から、今朝雄さんはそれまで見たことも
触れたこともなかった桶を、求めに応じて作ることになった。

祖父、父譲りの江戸の伝統と京都の技を受け継ぐ三代目・匠さん(写真右)。
「いろいろな職人の技術を見て、感性を磨くようにしています」

「時代によって、ニーズというものがあるから、
やっぱり、それに合わせた仕事をしていかないとね。
親父は『基本さえできていれば大丈夫だ』と。
お袋は『応用問題が解ける人間にならんと生きていけん』と言ってたし。
桶作りが自分に向いてるとか向いてないとか、考えたことは、ない。
ただね……お櫃ならお櫃、飯台なら飯台と、
ひとつのものを年がら年中作っているよりも、
いろいろやっているのも楽しいもんだな、とは思うよ。
この間は、桶で馬車を作ってほしいという話が来た。
設計士さんが九州の人で、『なかなか手に入らない焼酎を
3本見つけてきますから、乗りませんか?』と言うもんだから、
『乗った!』と。どうするんだろうね(笑)。
でも、楽しいじゃないかいね? 作ったことがないもので、
他の人が作れんというものを作るのは」

努力を重ねた職人だけが醸せる「品」。
まだまだ、先は長いよ。

もちろん、目先の楽しさだけではなく、今朝雄さんが見据えているのは
桶という伝統産品の現在であり、産地としての木曽の行く末だ。
桶作りの現在を伝える活動をしながら、問屋を含めた木曽の木材産業全般に目を配る。
さらに最近は、新しい桶の発注に加え、全国から古い桶の修理依頼が工房にやってくる。
この日、軒先に立てかけてあった大きくて平たい古桶は、
能登の海女たちが漁で使っていた磯桶だという。
「新しいものを作るだけじゃなくて、こういう古いのを直して
また使ってもらうのが、いいよね。
ちゃんとした職人が丁寧に作ったものは、ちゃんと修復できる。
古い桶を修復することで、自分の技術が上がるんだよ。
それで、そこからいろんなことを教えてもらう。
若い頃から、そうやって勉強してきたんだよなぁ」

創業時の父・数馬さんには、仕事がなく苦労した時期も。
「でもお袋は、親父に桶以外の仕事をさせなかった。たいした人だったね」と今朝雄さん。

ひとつ、記憶に残る、若き日の体験がある。
今朝雄さんが40 代に差し掛かろうかという時期に、工房に隣接する店舗に、
ヴィンテージのベンツに乗ったひとりの老人が現れた。
「店の中を10 分か15 分見て、帰り際に『この桶は誰が作ったか』と
訊いたんだ。その人が指差したのは、売らないで残しておいた親父の桶。
でこう言ったんだね。『お前、差がわかるか』と。
お前の桶は確かに繊細できれいだ。でも、親父さんの桶には品がある。
お前に唯一不足してるのは、品なんだよと」
老人が京都の陶芸の大家であるらしいことを、今朝雄さんはのちに人づてに聞いたが、
その人の発した言葉の意味を、いまだに反芻している。

桶の小口(上端部分)に硬いケヤキの棒をこすりつける「木殺し(きごろし)」。
木と木の摩擦により、水分や汚れをはじく効果が生まれる。

「わからないねぇ。品って、どうやったら出せるのか。
確かに、昔の名工の作ったものは、ぜんぜん違うんだ。
格が違う。名工って呼ばれても、俺のは、迷うほうの『迷工』。
ただ、唯一わかってきたのは、品っていうのは、
がむしゃらに働いているときには出ないらしいんだよ。
それは、働いて働いて、努力しまくって頂点まで行って、
その落ちる間際に、どうやら出るらしいんだと。
頂点まで行き着かないで落ち始めたら、たぶん出ないんだろうね。
だから、こう見えても、努力はしているつもりなんだけど」

桶を引き締め、印象づける竹箍。桶数では、材料作りから一貫して工房で行っている。
竹を割り、細く割き、皮を剥いて4本から6本取りで編み上げ、桶を締める。
その作業の精緻ぶりは「桶屋の範疇じゃないな、と言われたことがあります」と匠さん。

だから、今朝雄さんは朝早くから夜遅くまで工房にいて、
今日も新しい桶、古い桶と向き合う。
人から学び、桶から学ぶ。手間は惜しまず、正直に。
ウエイティングリストの桁は増えるばかりで、
中には数年越しの待ち客もいるが、より「困ってる人」が優先だという。
「特殊な桶や修理を頼むと、よそでは断られるらしいんだよね。
それで皆、ここへ持ってくる。『お前ならできる』『何とかやってくれ』と。
まあ、それで多少なりとも人の役に立てればね。
親父は明治、お袋は大正の生まれ。古い人間に育てられたで、考え方も古いんだよ」

出来上がった桶は、脚の部分に専用の短刀で刳(く)りを入れて完成。
「これで失敗したら、と思うと、何度やっても緊張します」と匠さん。

傍らには、地元で工芸やデザインを学び、
京都にほど近い滋賀の桶工房で修業した長男の匠さん。
お櫃やワインクーラーなど、おもに小物の生活道具を手がけながら、
父の手元と背中を見つめている。
「江戸職と京職の両方を経験しているのは、僕だけみたいです。
でも、自分の特色を出すというより、基本は、頼まれたら何でもやる。
それって、やっぱり大事じゃないですか?
昔は、桶は日常にあるものだったけど、今は贈答品になることも多い。
少しでもいいものを作れるように、欲張りになって、
小さなものから大きなもの、見たこともないものまで、
いろいろとかじっていこうと思っています」

焼印を入れて完成。匠さんが加わり、現在は週に 20 ほどの桶を生産。
特注品、修理なども手がけるが、相変わらず「待ち」の注文は多い。

息子には「なーんにも教えとらん」と、師匠は言う。
「急所については1回言うだけで、あとは自分で、頭でなくて手で覚えろと。
まあ、仕事は教えられて覚えるもんじゃない、見て盗めってね。
まだやっと入門したところだし、いちばん大事なのは努力。
器用じゃなく不器用な人でも、
3倍、4倍の時間をかければ、一丁前になれるってことでさ。
でも、伝えなきゃいけないのは、やっぱり品だろうね。
桶がちゃんと作れるかどうかは技術だけど
ものに品を出せるかどうかは、一生かかってできるかどうか。
何せ、俺だってまだぜんぜん到達してないんで」

なかなか先は見えんよ、と苦笑い。
名工の迷いは、まだまだ晴れない。


令和元年 10 月 撮影・取材

桶数

長野県木曽郡上松町/桶製造
木曽天然木を使用した各種桶を製造、販売。 オーダーメイドや修理、また、製材、木曽ヒノキの集成材の製造、販売も行っている。
東屋では「わたなべお櫃」「わたなべワインクーラー」などを製作。


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