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製造の現場を巡る③

及富(岩手県奥州市水沢区)

燃える水が、砂の静寂の中で形になる。
岩手・水沢の工場で日々起こる、鋳造という奇跡について。

キューポラから流れ出す湯の明るさと熱は、太陽を思わせる。
圧力が弱まると温度が下がるため、鉄は余分を見込んで多めに溶解。

火の強さ。砂の確かさ。
マグマのような鉄を、生身で制御する。

それは、山火事から始まったといわれている。


木々を呑み込んで燃え盛った火が、やがて鎮まる。
すると、砂の上に、燃える水が現れる。
しばらく熱を留めた水は、徐々に冷え、
銀色に輝く、硬い硬い塊が、そこに残される。


自然の奇跡を、やがて人は、その手と知恵で再現しはじめた。
それが、鋳造。
原料となる鉱物や砂鉄、燃料の炭が入手しやすかった
岩手県・水沢は、古くから鋳物の製造が行われてきた
歴史的産地のひとつである。
訪れた日も、数日前から雪に降り籠められた工場の中で、
新しい火が、起こされようとしていた。

鉄瓶を作るための生型(なまがた)。火山灰の混じった山の砂を
凝固剤と練り合わせ、ひとつひとつ、職人が手をかけて成型する。

創業から170 年もの歳月を重ねた「及富」で、
鋳造が行われるのは、週2、3回。
溶解炉・キューポラは、固定された設備ではなく、
鋳造のある日に、都度、組み立てられるものだということを
ここへ来て、初めて知った。
内径60 センチの筒状のパーツの内部は、耐火煉瓦でおおわれている。
「鉄だと思ってた? それじゃあ、一緒に溶けちゃうでしょう」と、
親方である・菊地章さんが笑う。
火にもっとも強いのは、砂なのだ。
砂は火を鎮め、熱を吸収し、発散させる。
太古の昔のあの時から、変わらずに。


数個のパーツを組み合わせ、
高さおよそ3メートルのキューポラが組み上がった。
燃料のコークスと、焚き付け用の薪一束が入れられて、点火。
風を送り、コークスが追加されると、
キューポラは、唸り声のような音を立てる。
飛行機のジェットエンジンの、離陸直前のような音が
最高潮になった瞬間、上部で爆発音がして、火の粉が上がる。
準備は整った、という、GO サインだ。
それを合図に、次々と、原料となる鉄が投入され始める。


流れ始めなど、温度の不安定な湯は、あらかじめ地面に掘っておいた穴の中へ。
1500 度の湯と直に接する鋳物柄杓の表面も、粘土で覆われていた。

しばらくして、キューポラの下部、蛇口のような部分から、
「湯」が流れ出す。
湯とは、すなわち、燃える水。
1500 度の炎で溶かされた、液状の鉄だ。
発光し、発火する、形容しようのないその赤色は、
地から吹き出すマグマそのもの。
湯は溢れ出る。キューポラは唸り続ける。
天地創造の神話を、今、この目で見ている。
そんな畏怖に包まれ、陶然となる。


「湯の出来の基準になるのは、温度ですね。
測る機械もあるにはあるんだけど、どのくらいになっているかは、
だいたい、観ていればわかります。
最後は、目。それはもう、皮膚感覚のようなもの。
火の粉が飛んでるけど大丈夫か、って? 
人の皮膚は水分があるから、一瞬なら火を弾くんですよ」


鋳造後のキューポラを解体。炉の中から、
溶け残った鉄とコークスが、マグマのように流れ出す。

流れ出る湯を、職人たちが、鋳物柄杓と呼ばれる柄つきの容器で受ける。
水の7倍の重さを持つ湯は、柄杓一杯でおよそ25 キロ。
もちろん、こぼせば事故につながりかねない、危険物でもある。
それを手慣れた様子で、しかし慎重に運び、
工場の広い空間にびっしりと並べられた、
「生型」(なまがた)と呼ばれる、砂でできた型に、
何度も何度も、往復しては注いでいくのが、「注湯」と呼ばれる作業。
穴から湯を注ぎ込むと、型は煙と湯気、ときに火柱を発して、
暴れる湯を、必死に身の内で鎮めようとする。


生型の中、鉄瓶の底の部分に敷く、小さな発泡スチロール。
やがて湯で燃え尽きてしまうものにも、それぞれの役割がある。

「砂型を作った人間が、自分で自分の型に湯を注ぎます。
おっかなびっくり、チョロチョロと注いでいると、温度が下がって
湯境(鉄の境目)ができ、亀裂が生まれてしまう。
だから、最初はゆっくり入れたら、あとはある程度勢いをつけて、
最後はスーッとフェイド・アウト。
このタイミングも、皮膚感覚です。
数をこなして、身体で覚えていく感じ」


1トン近くの湯を作り、すべての型に行き渡らせて
作業が終わるまで、およそ1時間20 分。
キューポラの熱、湯を注がれた型が発する湯気、そして人の発する
熱が場内に行き渡り、いつの間にか、凍える寒さを忘れていた。


東屋の「水沢姥口」は大(容量 1.5L)、小(1.0L)の 2 サイズ。
「姥口」は、茶の湯の釜の一種。
安定感のある形状とシンプルなデザインは、モダンな台所にも馴染む。

菊地章さん。鋳造中のサングラス姿が『千と千尋の神隠し』の
釜爺を彷彿とさせる。「いいね。そういう存在でありたいよ」

取り憑かれてこそ、一人前。
職人は、挑戦者でなければ。

鋳造が終わったら、型の中の製品が冷えるのを待ちながら、
すぐにキューポラの解体に取りかかる。
熱の残った状態でなければ、あっという間に中は固まってしまうからだ。
注湯から解体まで、その作業は「テンポが大事」と、菊地さんは言う。


「肉体的にも精神的にもギリギリのところまで追い込まれる、
大変な作業だからこそ、テンポよく、リズミカルにやる。
ギクシャクすると、皆、疲れて顔つきが悪くなりますね。
今は冬だけど、夏場はさらにきつい。
グダグダになって帰ったら、たぶん、家でも嫁さんとケンカでしょう。
炉の前の作業をする人間は、責任重大なんですよ」


炉の前で湯の具合を確認する菊地さん(写真右)。
流れ具合、色の変化などから湯の調子をコントロールする「番人」役。

東京の美大を卒業後、家業に入った菊地さんは、
これまでに1500 回ほど、こうして燃える水の神秘と対峙してきた。
その正直な実感は、「やってもやっても、謎だらけ」。
だが、ゆえに面白くもある。


「『何でこうなるんだろう?』というときが、
今でもけっこうあって。本当に不思議です。
でも、この作業に取り憑かれるようになって、
ある意味、一人前じゃないのかな。
『お前、目が変だぞ』みたいな状態、若くても年寄りでも、
職人は皆、そうですよ。湯を前にすると、目が爛々としてくる


火花の出方、火の粉の跳び具合は、湯の出来具合の目安。
「直線的な火花は湯が硬い証拠。柔らかいと線香花火のようになる」と菊地さん。

それは、この地に、その身に流れる血に
脈々と受け継がれてきた宿命であり、本能であるのかもしれない。
記憶にある祖父、父もまた、火を扱う
ものづくりに取り憑かれた人々だった。


「ふたりとも、どこか絵心のある人たちでしたね。
絵でも彫刻でも、何か面白いものを見つけたら
切り抜いてスクラップにしてとっておく。
それらを見て、何かを思いつくと、
じいさまは墨と筆で、親父は鉛筆で
紙にスケッチして、鉄でかたちにしていた。
ガチガチの伝統の世界でやっていた人たちだったのに、
どこか自由で、フレキシブル。挑戦者でしたよ。
こんな環境のところにめでたく生まれたものだから、
この道に入らない理由は、なかったよね」


雪降るこの日、およそ 100 個の鉄瓶とその部品を鋳造。
湯の熱も、湧き上がる湯気も、冷たい空気の中に吸収されていく。

井戸の中で泳ぐのではなく、大海に出たい。
美大時代、土、ガラス、金属、樹脂と、あらゆる素材に取り組んだのも、
挑戦者のDNAのなせる技だったのだろう。


「表現したいと思うものは、何でもやってきました。
でも、今は、鉄が面白い。
どこでやっても、何をやってても、最終的には、自分自身の問題。
自分がやりたいことがはっきりしていて、夢中になれることがあれば、
あんまりいろんなことに気が散らなくなるんでしょうね」


火の変化。湯のありさま。人の動き。
その目は、常に爛々としている。
耳は、いつでもそばだてられている。


キューポラを組み立てる菊地慈海(じみい)さん。
炉を扱った回数は、そろそろ 200 回に到達した。

「仕事が少なくなって、鋳造をやる回数が減ると、
皆、逆に元気がなくなっていく。
だから、いい仕事をしているんだなと思いますよ。
何と言うか、男が男でいられる時間だなと。
一日一日、一回一回、やりきった感じで終われる。
それでまた、次を、と」


あっという間に解体されたキューポラ。
砂型が壊され、中から、銀色に輝く鉄瓶の本体が取り出される。
それらに篭った熱が、少しずつ発散されながら、
北国の冬の一日が暮れていく。



当たり前にせず、感謝する。
僕らが受け継ぐのは、そういう仕事。

翌日。職人たちは、すっかり熱の冷えた鉄瓶を
磨いて製品にする作業に取りかかっていた。
残った砂を落とし、鉄のバリ(残材)を取り除いて、
表面を滑らかにする。
最初は荒々しかった鉄の表情が、どんどん洗練されていく。
それをなし得るのは、細やかな人の手作業。
磨くときにもまた、細かな火花が散る。
鋳造時の火が、確かにこの鉄塊を生んだのだ。
昨日の鋳造においても、今日の工場の作業においても、
職人それぞれの持ち場ごとの働きがうまく噛み合ってこそ、
無事に製品が製品として完成していく。


型から出した鉄瓶の「バリ取り」作業。
機械にかけ、職人たちが丹念に研磨していく。

「職人たちは、皆でひとつの身体みたいなもの。
手は手の役割を、足は足の役割を、頭は頭の役割を果たす。
手が勝手に足になったりすると、困るんです。
危ないなと思ったときは、大声も出るけど、
その場で終わること。後に残るものじゃない。
それが、うちの工場のいいところじゃないですか?」


湯の見方しかり、工場の持ち場配分しかり、
鋳造の現場で大事なことは、これまでほとんどが、
図面や書面ではない状態で伝えられてきたという。


磨いた鉄瓶を、900 度の陶芸用窯で焼成。
「窯焼き」の作業により、錆止めとなる酸化皮膜ができあがる。

「キューポラにしても、設計図なんかないんですよ。
工場ごとに、それぞれの作り方があって、ちょっとずつ違う。
他の機械も、近くの鉄工所に行って、サッと書いた図で作ってもらう。
それが、産地の強み。鉄瓶の型だって、そうですね。
ただ、それらを、3D スキャナなんかを使って
データ化して残していくのは、これからの時代、
次の世代の仕事なんでしょうけど」


「及富」の一角には、研究室と名付けられた部屋がある。
型を作る職人が、新製品を開発するために設けたスペースは、
菊地さんの次男・慈海(じみい)さんの居場所。
工場で炉の経験を積むのと同時に、次の時代に向けて
製品をさらにブラッシュアップするための
さまざまな試作に取り組んでいる。


近所から「湯を借りに」来た、同業の及川テルさん。
77 歳。夫とともに工房で働き、現在も息子とともに鋳造を続ける現役職人だ。

現在の課題は、鉄瓶の色や艶を決める最終仕上げ
「油焼き」の工程で使用する、新たな油の開発。
深く豊かな黒の発色を目指すと同時に、口に入る水に接する道具として、
さらに安全性の高い素材を作り出そうとしているのだ。


「今は茶渋液と椿油を混合させていますが、
茶の成分が変化すると水や料理に影響が出るので、
その種類をいろいろ試して、手法を確立させたいんです」


注ぎ口との境目や蓋の乗る溝は、手作業で滑らかに。
「緻密な作業は、東北人の気質に合っていると思う」と菊地さん。

三年前、工場に入る以前は、まったく別の職業に従事していた。
が、震災を経て、また、自身、家族を得たこともきっかけになり、
「子どもに誇れる仕事をしたい」と、家業に勤しむことを決めた。


「きついけど、考えるのは面白いです。
開発の仕事は、クライアントの納得がいくまでやるけど、
それはコストにも直結する。もっと手軽にやれて、
かつ、品質がよくなるためには、どうしたらいいんだろうと」


火にかける道具。口に入るものを沸かす道具。
安全性を確保したうえで、より美しく磨き上げる。

重量物を扱う、肉体的負荷の軽減。
3D、AI などを使った、デジタル化、新技術の導入。
ものを作り、作り続けるための課題は、次々と発生する。
それでも、貫きたいのは、クラフトマンとしての誇り。
「選ばれし者がやっている仕事なんだ、と、
僕らはもっと思っていいんじゃないかと思う」と菊地さんは言う。


「イタリアとかだと、職人の地位って、高かったりするでしょう?
その意識が、この産地の人にはあんまりない。
鉄を溶かしてものを作るのが、あまりにも当たり前だから、
そのことに感謝するという感覚がないんでしょう。
普通にやっていると、日常になってしまって、
どこか麻痺していって、結果、失敗が多くなる。
『こんなもんでいいな』と思ってやった仕事は、
こんなもんになってしまうんです。
だから、実はそうじゃないんだと、伝えたいんですよね。
火を扱うことも含めて、すごい仕事なんだよと、皆に」


平成30年1月 撮影・取材

及富

岩手県奥州市水沢区/鋳物製造
嘉永元年(1848 年)創業。水沢鋳物の製造者には、 江戸時代に武家から鋳物業に転身した及川喜右衛門に連なる及川姓 が多く、社名の「及」もそこに由来する。


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