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製造の現場を巡る②

土屋製函所(静岡県藤枝市)

杉の木から、数ヶ月をかけて生み出される茶箱。
店で、家で、長く愛される伝統の保存容器には、
昔ながらの、初期人の手仕事が息づいている。

行政区分の変更によって、近年、少し拡大したというが、
土屋製函所のあるところは、創業時から変わらず「茶町」。

天日干しで、木のアクを抜く。
歪みや狂いはご法度だから。

呉服町。鍛冶町。紺屋町。大工町。
名前を聞けば、古くからその町に暮らす人たちの生業がわかる。
静岡県藤枝市の茶町も、そんな町のひとつ。
今も昔も茶問屋の集まる地域の一角に、土屋製函所の工場がある。


「函」は「箱」。製函所という社名も、町の名と同じく、シンプルで明快だ。
土屋製函所は、茶を出荷する際に入れる箱、茶箱を作るメーカー。
創業は昭和24年。初代は、現当主・土屋恵司さんの父である。


「もともとは板金を主にやっていて、茶箱作りは、よそのを手伝っていた。
それを自分のところで請け負うようになったのが、昭和24年ごろ。
古いほうの建物も、その頃に建てたものです」


だからもうボロボロで、と土屋さんは笑う。
が、必要な箇所は補強され、設備には手が加えられており、
何より整頓されていて、明るく清潔だ。
動線がクリアで、作業がしやすそうな環境に整えられているのは
はじめて訪れた人間にも、一目で見て取れる。

工場から徒歩数分の干し場。国産の杉の木を、一度にだいたい80束、まとめて干す。
「梅雨どき以外は、年がら年中、こうしてます」と土屋さん。

茶箱は、極めてシンプルな箱である。
杉板を波釘で継ぎ、それを箱型に組んで、
中にトタンの板を敷いて溶接し、外周に目張り用の和紙を貼る。
5キロ、10キロ、20キロ、40キロという呼び名は、
中に入る茶の量を示したものであるとのこと。
運搬用の箱として、まず軽く扱いやすいこと。
そして、保存容器として、湿気や虫害から保護する機能を備えていること。
製造工程は、この2点をかなえるための、必要十分な作業である。


まずは、板の準備。
「素材を作る」ところから、すべてが始まる。
素材は、国産の杉。


「ヒノキは硬くていい材料だけど、匂いが強すぎる。
中に入れるものに影響するのでね。
板の厚みは10ミリ。6尺の丸太を、製材所でだいたい8枚から10枚にしてもらって、 1カ月半くらいかけて天日干しにします」


雨の日も、基本的には「このまんま。置きっぱなし」であるという。


「木は、濡れなきゃアクが抜けない。
アクの抜けない木は、いくら干してもボトボトしている。
きれいに乾燥しないから、板も軽くならないし、
製品になったあとで、歪みや狂いが出るんです」


雨を当て、風を当て、板が十分に干されたら、次は「木取り」。
ここでやっと、木が、工場に持ち込まれる。


「外から来た人は、『木の匂いがする』って言うよね。
我々はもう、慢性だからわからないけど」


長さを揃え、切る作業は、かつては鋸で行われていたが、
今は電動の丸鋸で行われる。

木取りした板に重しを乗せ、さらに反りを防ぐ。
生木の状態から箱になるまで、実に5カ月の時を要する。

切った板は、すぐには組み上げに使わない。
ここでもう一度、水を通すのだ。
曰く「暴れさせる」作業は、板を落ち着かせるためにどうしても必要な工程だという。


「早く使うと、どうしても戻りたがるでね。
板は、呼吸してますから」


重ねて寝かせること、さらに2カ月。
完全に落ち着いた板の表面を削り、
波釘で接いで、必要な幅にする。
削るのは、箱の外側に出る片面のみ。


「それ以上に、手間はかけられんのでね」


それもまた、茶箱という用途にふさわしい簡潔さ。
このあと、削った木を、さらに作る箱に必要なサイズに切り揃え、
やっと箱の素材が出来上がる。

板を継ぐための波釘。
この釘打ちも、すべて手作業で行う。
土屋さんを挟んで、写真左が妻・鈴子さん。右は鈴子さんの妹・飯塚勝代さん。
ふだんはもうひとり、飯塚さんの夫・洋さんが加わる

手作りだから、手をかけなきゃ。
ちゃんと作れば50年、100年と、茶箱は働く。

いよいよ、箱を組む。
セメントコートされた32ミリの釘を、金槌で正確に打ち込んでいく。
ここまでのすべての作業を、土屋さんは手仕事で行った。
もとは公務員で、親の仕事を継ぐ気はまったくなかったという。


「15年くらい、焼津の市役所に勤めとった。土木課で、建設関係の仕事。
でも親が年をとって、『あんたにやってもらわにゃ困る』って言うんでね。
私は長男だから、しょうがねえなって。40過ぎてから」


継いだ当初は、茶箱だけでなく、さまざまなものを作っていた。
ジータと呼ばれる、車の輸送用のパレット。ウイスキーの瓶ケース。
今はプラスチックに取って代わられたものは、昔は多くは木で作られており、
木工職人たちは、産業資材の第一線で活躍していた。


「輸出用の軽自動車を載せるやつなんか、10年くらい作ったかな。
いろいろやりました。
茶箱作りのやり方は、子どもの頃から見てましたからね。
職人も、多いときは15人くらい、ここでやっていました」

板を切る土屋さん。
木製の道具は、ほとんどが手作り。すべてがスイッチひとつで動くという明快さ。

土屋さんが箱を組み上げたら、
次は外側の仕上げ。
茶箱の角の補強用に、和紙を貼る。
接着に使うのは、小麦から抽出した澱粉で作る生麩糊(しょうふのり)。
伝統的な表具に長く使われてきたほか、
近年では美術品の修復にも使われる天然素材の糊を、
土屋製函所では、生麩を煮て作り、使用している。


和紙は石州産のもの。近年では生産者が減り、値段も高価になったが、
できる限り、昔通りのものを選んで仕入れ、使用しているという。
糊をつけて、一気に伸ばし、端をきれいに折りたたむ。
皺ひとつ寄せない、美しい手仕事が、粛々と施される。

手作りの生麩糊を和紙に伸ばし、一気に貼る。どちらも天然素材だから、箱の呼吸を妨げない。
貼る係は、おもに、土屋さんの妻・鈴子さんの妹、飯塚勝代さんが担う。

和紙を貼った茶箱は、事務所の一角にうず高く積み上げられ、出荷を待つ。
よく見ると、それぞれの表面の何箇所かに、
小さな正方形の和紙が貼り付けられている。
これは、木の節(枝の跡)を止めるための手当て。
家具作りなどでは、通常、美観の観点から、
節の部分は切り取るか、節のある板自体を採用しないが、
茶箱では、「止めてしまえば、どうってことない」と土屋さん。
簡素な手当てで十分だという、実用品ならではの潔い判断だ。


「節には死に節と生き節がある。
もとの枝が枯れてるやつが、死に節になるんだけど、
放っておくと、ボロボロ抜けてきて、しまいには穴が開くんだよね。
使うには差し支えないけど、まあ、目障りだから紙を貼ってる。
生き節のほうは大丈夫だから、そのまま。
茶箱っていうのはさ、家具とはちょっと違うもんでね。
だから、比べられると困っちゃうんだけど」


外側の目張りができた木箱の内側にトタン板を貼るのは、妻・鈴子さんの役目。
あらかじめ箱型に成型されたトタンの薄板を、慣れた手つきでハンダ付けしていく。


「教えてくれたのは、ブリキ屋さんだった先代。
最初は『えーっ』って思いましたけど。
何だかね、自然と覚えちゃった。フフフ」


保存用の実用品だから、機能を満たしていれば、あとは必要最低限の手間で済ます。
対費用効果を考えても、それは合理的な判断だといえる。
手を抜いているわけではなく、必要な部分に必要な力を注いでいることは、
板干しから製造までの、時間をかけた工程を見ればよくわかる。


「手作りだから、手をかけなきゃ、満足なものはできない。
安い作りをしているものは、すぐに傷んで返品になる。
雑な仕事をすると、あとが大変。
ちゃんと作っていれば、50年、100年は持つ箱だから」

工場の中で火を使う仕事場は、ハンダ付けの一角のみ。
ここにだけ、初代の板金業の名残がある。

雑な仕事は、やらない。
人間、体を動かしていなくちゃ、
だめだよね。

茶箱が作られはじめたのは、大正時代。
当初、中は紙貼りだったという。
現在は、茶葉の保管に適した紙袋が開発され、
その袋に詰めた茶を、ダンボールに入れて流通させているのが大多数。
時代の趨勢によって、茶箱を作る会社も、
土屋製函所を含め、静岡県内にわずか4、5社に減少した。


今やってるのは、皆、私と同世代。若い人はいないです。
何しろ、手のかかる仕事なんでね。
材料を入れたら、全部組み上がって出てくるならいいけど、

鈴子さんが使う、ハンダの棒。
その他の仕事道具もすべて、使い込まれて手に馴染んでいる。

何もかも、手でやらないといけないもんで。
経験のある職人でないと、仕事にならないし、
商売としては大変ですよ」


しかし、注文が途切れることはない。
かつて一般の家庭の押入れに保存箱として用いられたのは、
本来の用途である茶の流通を終えたのち、小売店から家庭に譲られたもの。
その縁で現在も、小売店や問屋経由で茶箱の注文を受けることがあるという。


「用途はけっこう広いですよ。うちでも使ってます。
おもに衣類や書類を入れたり。あと、食材やなんかも。
湿気を嫌う米とか海苔とかには、とくにいいでしょうね」

板の表面を削る自動プレナ(電動カンナ盤)。
かなりの年代物だが、中に入れると、一瞬の轟音ののち、表面が滑らかになった板が現れる。

電動工具の使用は最小限。人手も最小限。
刃物は、今も自分の手で研ぐ。


「若い人はなかなかやりたがらないけど、
それが、昔の姿だよね」 


現在は、土屋さんと妻、妻の妹夫婦の4人で、
サイズ違いの茶箱を製造している。
誠実な仕事ぶりに注文が相次ぎ、
「土曜日が休めなくなっちゃった」と土屋さんは苦笑い。
いつまで続けられるか、と言いながら、
その背はしゃんと伸びている。


「結局は、仕事があるからだよ。
ある程度は体を動かしていないと、こっち(頭)がおかしくなっちゃう。
人間、何かしてなくちゃ、だめだよね」


表情は、茶箱の佇まい同様、清々しい。
生業があるということ。その確かさ。

完成し、出荷を待つ箱。
板の継ぎ具合、節の目張りなど、同じように見えて、ひとつひとつに個性がある。

繁忙期は、現在も、やはり茶が生産、出荷される4月末から6月。
取材時は、ちょうどその入り口に当たっていた。
ふと、工場の奥の窓の外から、青々しい香りが流れ込んでくるのに気づく。
新茶の香りだ。


「あっちに製造所があるからね。
こっち(入り口)からは、焙じ茶の匂いがするでしょ。ほら」


鈴子さんに呼ばれて行くと、確かに、香ばしい匂いがふんわりと漂っていた。
その前を、学校帰りの子どもたちが通り過ぎていく。
何十年も変わることのない、茶町の初夏の風景。
茶箱同様、この先も、長く受け継がれていくことを祈りたい。


平成29年5月 撮影・取材

土屋製函所

静岡県藤枝市/茶箱製造
静岡県藤枝市/茶箱製造 茶箱は、茶葉が入るキログラム数で表示される。東屋で扱う茶箱は、5kg・10kg・20kg・40kg。それぞれのサイズに高さが約半分の「平」タイプがあり、全部で8型が揃う。

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